ブログ|そういう時もある 忍者ブログ

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

嫉妬という感情について

この前初めてカウンセリングというものを受けてきた。相談しにいくのすら勇気がいったけどwww

そこで気付かされたのは、創作というものは自分が思ってるより相当私の中で重要なものだったということ。重要だからこそ本気で悩んでるし本気で落ち込むのだと。

私は他人と評価を比べたりしてしまうのが悪化して他人のことが見られなくなってしまったけど、嫉妬っていうのは今まで、内心相手を見下してるから起こる感情なんだと思ってたんですね。そうだとしたらあまりにも醜いって思ってたんだけど、カウンセラーさん曰くそれは自分の自尊心が危うくなるからということでした。

一般的に、同じグループの中で他の人が誉められると、自分はけなされたと思う傾向があるらしいです。つまり、自分にとって重要なものである「創作」というものはまずアイデンティティーであり、その創作カテゴリで近くに自分より優秀な存在があったら、自分のアイデンティティーが脅かされる危険がある→自尊心・自己の存在価値の危機から嫉妬という感情が生まれるということです。

そう思うと、単なる人間の自己防衛的なシステムなんだと捉えられるようになりました。だから嫉妬する自分に対しての罪悪感というのはなくなってきたのですが…

根本的にそう思わないためには、やっぱり別の自分の存在意義を見つけることが必要ってことでした。つまり創作からは一回離れた方がいいんだと思う。

たぶん、私の中で創作というものはかなりの大部分を占めていたんだと思う。それがなくても、自分には存在価値があると、そう思えるものがあればいいんだけど、現実そこの克服が難しくて、未だに病んでるということです。

拍手[3回]

PR

人に優しくすることとは

先日、舐められる人と慕われる人の差というのを見たけど、重要なのは自分を犠牲にしてまで他人に尽くさないということだった。
やっぱり、自分だけでなく他人に優しくしたいって思うけど、自分が満たされてないのに無理に優しくしようとするのはそもそも間違ってたのかなって。

自分が持て余してるものを他人に与えるのが正しいのかもしれない。

そう思うと自分には何もかも足りてない。自分に余裕がないのに余裕がないところから人に与えようとするから疲弊してた。

だから、間違ってたんだな。与える側でいるの、やめようと思う。

創作者側でいるのも、もう本気でやめようかってところまで来てる。少なくとも、人に分け与えられるほど自分に余裕ができるまでは、やめるべきかと思った。

新しく始めるなら、完全に新しい場所で始めたい。私のこと知ってる人が誰もいないところで。

こんなに悩むということは、やっぱりそれほど自分のなかで重要で、大切なことなんだと思う。だからこそ、そんなに大切なことを人生のなかで、やめるって時が来るのは心苦しいけど、続ける資格もないと思う。


拍手[1回]

やり直し

昔は、創作界隈っていうものが本当に好きだったなぁ…将来は創作の人たちが楽しめるような、皆輝けるような何かを(企画とか)作りたいって本気で思ってた。

今は、これは自らだとは思いたくないけど、あることをきっかけに界隈自体嫌いになってしまった。これは、わたしのせいなのかな。

本当に楽しくて好きだと思ってたこと、奪われた気がしてもうずっと不愉快な気持ちだし、やっぱり恨みは消えないな。その原因になったことを一生かけて恨むと思う。

楽しくない。最近そう思うから、楽しいことしたいな。結局は創作活動に関わる何かが私にとって一番楽しいと思う。創作界隈から離れたから新しい友達もできないし、活動の幅が広がらないな。そも友達と思ってた人だって皆失ったし、今は何もない。

そうなると完全に心機一転しないといけないかもしれない、全部やり直そうか。

拍手[1回]

悩む

ほんとに、自分の作ったものが純粋に楽しみにされてればな、って思った。

今は、やっぱり本心から楽しみに待ってる人なんか一人も居ないと思う。そして、こういった悲しい思いを誰に言ったらいいかも分からない。

(表面上は)仲良くしてくれてる人に言ったら、きっと心配させるし、心配されたくない。かといって、一緒に作品作りしてるとも言えるボイスさんに言うわけにもいかない。やっぱり、企画主である自分が弱気になってたら申し訳ないし。

どう動くべきかすっごい悩んでる。今は、たくさんの人に囲まれてる気がするのに孤独で、それだったら偽りの人々を追い払ってあるがまま孤独の姿でいたほうがましかもしれない。人がいるのに無視されてるほうがつらいし。

かといって、印象最悪な別れ方もしたくなくて、安全をとるなら「なにもしない」が一番かと思ってしまう。

でも今のまま活動を続ければ続けるほど、「アイツ交流もしてこないくせに動画作りだけしてるよ」って思われてるんじゃないかと思う。あるいはそれすらも思われず、フォローしてるのに居ないものとして扱われるか。

何か作ったら、純粋に人に喜ばれる存在であったらよかったのに…今は作れば作るほど非難の目を向けられてる気がしてふとしたときつらいって思う。

私が何か作っても、他人は喜ばない。むしろ邪魔に思われる。生み出すことが悪になるなら、何も生み出さない方がいいのかなって思う。純粋に、人に喜ばれたかったな。

拍手[1回]

よく考える

もし親が死んだら私も死にたいと思った。最近なんで生きてるんだということよく考えるけど、考えるほどに生きてるって無意味だと思う。

そんな無意味なのになんでまだ生きたいかって考えると、大切な人がいるからなんだよね。人間関係がとても狭い私にとっては自分の大切なものの中でも親は大部分を占めてると思うし、大切な人がいない世界でも生きていかなきゃならないなら、死んだ方がいいだろうと思った。

こんな虚無人間なのに、ものを生み出す活動してるってなんなんだろうと考えた。こんなひとりぼっちの人間から何か発信するより、もっと影響力ある人がそういう活動した方が意味がある。

そう思うと、誰が見るわけでもないものを作り続けることが意味不明に思えて、そんなのやらなくていっかっていう考えに一瞬なる。でも、こんな虚無人間だからこそ、これすらもやらなくなったら本当になにもない人間になってしまうから、そんなの生きる肉塊でしかないから…

本当の意味でなにもない、を避けるためにも、無意味なことでもやっていようかなと、ちょっと思った。

最近、言いたくないことが多くなったなぁ。簡単に口に出せるコンプレックスは、私にとってまだファッション感覚で、本当に重いものは誰かに言うというとこにすら到達できない。

我慢して言えないことっていうか、知られるのが怖いとかイヤだとか、知られたことによってバカにされるかもしれないという恐怖のような感覚。

あと、単純に言っても無駄だなと感じて、あえて言わなくなることも多くなった。

創作において、こうなりたいとかこれやりたいとか、前はあえてよく言ってたけど、今はもう言う権利すらないと感じるくらい、言えない。ここですら言いたくない。

今の私には、もの作りにおいて一点考えてることがある。いつか言えるようになったら発信するかもしれない。あとは、こうなりたいと思ってることも、今は言えないけど、、いつか言えたらいいなと思ってる。

拍手[2回]