ホームベーカリーでパンを作りました|雑記|そういう時もある 忍者ブログ

ホームベーカリーでパンを作りました

母「アイドリッシュセブンの、黒髪の高校生の子が、一番年下でぇ、その子とオレンジの髪の子が兄弟。」
わたし「そうそう」
母「で……メガネの一番背の高い人が…………いる
わたし「wwwwwwwwwww」
母「あっ、黒髪の子は一織でしょ」
わたし「そうだよ。じゃあ兄の名前は?」
母「えっなんだっけ」
わたし「名前が数字になってるんだけど、3の子」
母「あ、三月!」
わたし「おお~」
母「あと陸と天と~外国人の人がいて~」
わたし「うんうん」
母「あと環」
わたし「そう」
母「ファンの子に騙されて俺もうやめる!!って嫌いになって逃げて最後に"雨"が流れる」
わたし「wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww」

今日そーちゃんの誕生日ってことは知ってるのにそーちゃんの見た目は把握してなかった母です。

最近、絵の塗りをどうにかしたくて好きなイラストレーターさんの絵を参考にして描いてます。

それで、色使いとかも多少真似してるんだけど今は描き方を見て真似ている段階で、自分のものにしてないから元の自分の持ち味がほとんどなくなってきていると感じる…練習中だから仕方ないけど、この仕上がり微妙だなーって自分で思ってしまうことがつらい…!

VS嵐見てたら松潤が絵を始めたいと言っていたんですよ。嵐では大野くんが絵で個展を開いてるんですが、もし松潤が絵を始めたとしたらきっと誰もが素晴らしいことだねって言うと思うし、大野くんの方が上手いねなんて言わないと思う。二人の絵は全然違うものだろうし、それに優劣はつけられないだろうなって想像したんでんですよ。

絵とかアートって本来そういうものなんじゃないか?って思ったな。スポーツなら明確に勝敗があるのは仕方ないとして、アートって競えないはずなのになぜインターネットの世界では優劣がつけられる気持ちになるのだろう。

わたしなりの答えは明確で、なぜか数値化されるから。前もちょっと言ったけど、人間、少なからず「他の人がいいと言ったからいい」「他の誰も称賛してないからよくない」ものだと認識してしまいがちなんじゃないかと思うんですね。

数値として高ければ他の人がいいと言ってるからいいものなんだって感じちゃうんじゃないかな。見る側も、他人の意見は一切関係なしに自分の審美眼で見れるようになったらいいんだけど。

てか、前にラップ詞を書きたいみたいなこと言ったけど全然書けなくて普通に挫折したんですが、またやりたくなってきた…。あんま韻を踏むことにこだわらず、リズムに乗れればいい!くらいで考えたい。

前にちょっとフリースタイルラップを調べたんですが、そこで、韻を踏むこと自体はそんな重要じゃないと書いてあったんですよね。リズムに乗れればいいって内容…だったような気がする。

全然関係ないけど、自分姿勢が悪すぎる本当に。椅子に座ってるんですが、すぐ隣に姿見があってそっちを見ると写ってるのが見えるんですよ。

まじで腰曲がってる……!!この状態をキープし続けたら将来確実に地面スレスレまで腰が曲がった老人になる。

あぁ…頑張れ!自分…!割といい状態の今を継続してほしい…!!いいことだけを考えろ~悪いことは一切考えるな~~!

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