孤独|雑記|そういう時もある 忍者ブログ

孤独

もう早く暑いの終わってほしいんだよね。なんだかすっごい小さい虫とかが沸いてくるわけよ。で、めちゃくちゃ暑かった時には居なかったから多分暑すぎて小さい虫も死んでたんじゃないかと思うね笑

今日やたら暑くて、冷房結構低めにかけてるんだけど暑いのってもう、これなに、死ぬのか?

ツイッターって単に自分が言いたいこと言うだけというのもあるけど、心のどこかで誰か話しかけてくれないかなと期待してしまうところがあって、それが嫌なんだよねめちゃくちゃ。そう思う自分が嫌だ。そう思ってるからこそ、他のよく話しかけられてる人を見るとすごい劣等感を感じて嫌になる。

一見ただの一人言っぽいことでもツイッターに書き込んでる以上毎秒絡まれたいですからね。誰も構ってくれないな…と思うと連投してしまって無駄なつぶやきが多くなり悪ループする。それがMAXに達したときだいたいわたしは自己崩壊してこうやってブログ隠居生活したりなどする笑

相互という存在がなかなかうっとうしいこともあるんだな。なんでかっていうと、いるのかどうかこっちからも分かるから。相互じゃなくて一方的にフォローされてるだけなら、今浮上してるかどうかってわからないけど、相互だと今明らかに見てるはずなのにわたしのことは無視してるよね?っていうのが分かるから嫌。だからもう今誰がいるとか見たくなくて、そもそも見なけりゃいいやという結論になるのです。

交流が疲れたというと嫌なら休んでもいいし好きにしたらいいよとアドバイスもらうこともあるけど、そうじゃあないんだな。交流を休んだら比例して自分の投稿を見てもらえなくなるから、それはそれでストレスなのよ、そこが理解されないと思う。だからやり続けなくちゃいけないと思ってて、そう思うから疲弊する。

作品として楽しむために作っているのに交流の道具になってることが不可解だなと感じる。。わたしは思考のプロセスを説明せずに結論を言うことがあるから、急にどうしたの?と思われると思うんだけども、たまに言う「無理だ」っていうのは、
交流をしないと作品は見てもらえない→わたしはそれなりに人に見てもらいたい→でも交流が体質的にできない=わたしの作品は見てもらえない
という思考プロセスで、結論「無理だ」になってる。

無理なんですよ…だから交流ができないわたしはクソゴミカスだと思ってるんですね。動画やマンガ色々やっててすごいと言ってくれることもあるけど、どんだけすごい動画を作ったって無視されてるならゴミなんですね。それなら交流がめちゃくちゃ上手いけど絵のレベルは小学生という人がすごい数の反応貰っていたらそっちの方が価値が高いと思います。

どんだけ努力して作っても反応が薄ければゴミだと思ってしまいます。その反面ものの価値をどれだけの人が見たかどうかで決めないでほしいとも思う。

まあ、でも、わたしはわたしが良いと思った自分の作品を他の人にも良いと思ってもらいたいよ。現状は、そう思ってもらえる要素が薄いからあんまり見てもらえないんだと思ってる。だからどんな言い訳を考えても結局は自分の努力不足であり、どう改善したらいいかわからない自分がゴミという結論になる。

仕事も、恋も、ガンバろ!キラキラ!みたいな書き込み見るとすごい落ち込む。やる気が削がれる。なにそのポジティブ、みたいな。そんなポジティブシンキングできるのはさぞ充実して幸せだからでしょうねわたしはこんなに不幸なのにと考える。実際は違うかもしれないけど考えは分からないから表面だけがすべてだと思う。

表面だけでもそう繕えないくらいわたしは恵まれてなくて不幸だよ。何もないわたしからさらに奪おうとするやつのことは本当に怒りを覚える。恵まれてるのにわたしのことを持ち上げる人も嫌味を言ってきてるように感じる。

そんなこと言ったら誰もわたしを元気付けることはできなくなってしまうね。なのに、誰にも声かけられなかったら孤独だと感じてしまうわけです。

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