雑記|そういう時もある 忍者ブログ

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なんか困り眉な気がする


これは温泉に入った後休憩しているヅュン

暇すぎて何をしたらいいか分からない領域だ…。なんかふと思ったけどわたし友達いなくない???こんな世の中になってから普通に人と会うことを禁じられてるし誰とも会わないことには疑問を抱かなかったけど、コロナ開けたら一体わたしに何人友達がいるんだろう??なんか、定期的に会わないと久々すぎて他人みたいになるし、友達から他人になる人増えそう。

そもそもこの世の中になる以前誰と会って遊んでたりしていたのか思い出せないし、その時普通に遊んでいた人たちとコロナ後の世界でも普通に友達でいられるのか自信ない。正直働き方の面ではわたしはかなり環境が良くなったからコロナが一概に悪いことだけをもたらしたとは一切思わないんだけど、少なくとも今後の世界は変わってしまうと思うね。

そう思ったら早く人と遊びに行きたいし感染者減ればいいのにと思っていたけど感染者が減った後の世界でもしかして自分は孤独なんじゃないかって思ったら今後を生きるのが急に怖なってきた。なんか、未来に光が見えるのか分からない今も頑張って生きなきゃいけないことに意味を見出せなくなってきた…

今ならまだ言い訳を言える、世の中の誰だって外に活動しに行きづらいから自分が行動しなくても皆そうだし、世の中がそうだし、って言い訳を言えるんだけどそうじゃなくなった世界では行動しない自分はただの怠惰になってしまう。

自分が活動的でなければどんどん人が離れると思ってなんか荷が重いな…生きるのに…何もしなければどんどん自分は興味を失われていくんだなって思う。

なんだかこのまま一生コロナ禍な気すらしてくる。終わることってあるんだろうか。もうやることないから早く明日になれってなんとなく思った。でもそんな風に明日を急いで日々を消化していくことって本当に無意味だなと思う。

わたしが絵を描いたりしても喜ぶ人っていないんだなと思う。実際にどうなのか分からないんだけど、描いた後の世界を想像すると特に誰にも喜ばれないというのを想像してしまう。誰かに喜ばれることをしなきゃならないわけではないし、喜ばれたいなら電車で席を譲るとか掃除当番を代わるとかすればいいと思うんだけど、なんでかそうじゃないとなるんだな。なんでだろう。

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寝違えた


これはなんと自分の島に作った天文台にフーコが上手いこと出現していたというすごい図です。
ちなみにこの天文台は高台に作ってあるんですが、本当は坂を作りたいけどまだ作れてないから住人とかは登ってこれないんですね。なのでフーコがここにいるというのは、この高台部分に偶然出現しないとあり得ないことなので結構レアな偶然なんじゃないだろうかwww

ところで今日絶対寝違えてると思うんだよね。首が一日中痛い。
それはどうでもいいんですけど本当に最近なにもしてなくて、なにもしてないんだよね。まあ、それでもいっかって思ってたんだけど、何もしない期間が長いほどにわたしは生きててなんの成果も残してないんだなと思い始めたら急に焦燥感があるねwww

焦りはするんだけどなにかしようと思っても別にできないんだよね。だからなんかもう早く死にたくなりました。自分の大切な人に自分より早く死なれたら困るというか、この先自分はどうやって生きていけばいい?ってなるから嫌だと思うんだけど、自分が死ぬ分には自分はそれ以上苦しまないから別にいいかな感があるねwww

身近にすごい人がいると、それが基準になってしまってそのくらいできないと、頑張ってないんじゃないだろうかと思ってしまってセルフで自分を辛くさせてると思うんだよ。だから、本当に自己を守るんなら周りに雑魚ばっかり置いたらいいかと思ったけど、それはそれで治安悪くなりそうwww

ああ、周りの速いスピードについてけないって、思う。周りを見てしまうと常に変化し続けていると感じて、何も動けない自分が取り残されるという感覚になるね。世の中を見たくないな。移り変わるものを見たくない。見てしまうと焦るからね。その点やっぱりブログは動かないというか、自分の投稿以外ないから安定するかもしれない。

あんまり自分のことマイペースと思ったことないんだけど、思っている以上にマイワールドな人間だったのかもしれない…。周りのペースに合わせたくないなと感じてきた。見えると合わせなきゃってなってしまって、合わせられなくてああ自分はダメだって感じるんよな。 

それでも本当は、だれかわたしの世界に入ってきてそれでいいよって支えてもらうことを望んでいる。

本当に嫌な感情を全てなくしたい。心理学とかやってる人ってさ、人間がこういう時にこういう反応をするっていうのはなんちゃらかんちゃら反応と言う、みたいな感じで勉強してるじゃないですか?それを突き詰めたら、話してる相手が怒ってたりとか理不尽な行動をしてきたりした時に、あーこれはなんちゃら反応でこういう態度を取ってますね。みたいに分析してすごい達観できるんではないだろうか?無理なんだろうか?

それで全部分析して片付けられたらかなり最強ではないですか?めちゃくちゃ高次元にいるよね。そんな最強になれたらなぁ…。

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秒速で寝る

秒針を噛むみたいに言うな。


そうそう、今朝の速報!なんとあつ森ですずらんが咲いていました!


すずらんは島評価☆5にすると咲くんですが、別に島評価狙ってた訳でもなく普通にやってたら翌日咲いてた…って感じだったのでサプライズ嬉しい☆

あと面白かったやつ。

島にダイナーゾーン作ってるんだけど、ちゃんとコーヒー置いてるとこに座ってドーナツ食べてた笑笑笑笑笑笑笑

ドーナツってチョイスもいいし、奇跡的ショットでした。

昨日ラジオ聞いてたら、人はなぜ頑張るのかっていう話題があったんですよ。そしたら、「頑張った方が楽しいから」と言っていて、結構納得したね。頑張れるものが無いときって個人的にすごい虚無みがあるんですよ。

なんだかんだ創作をやってるというのも、もしかしたらこれにあるのかもしれない…どうにしたって「頑張る」ことになるから。世の中、ソシャゲ走ったりする人もいるけど、そういうのもソシャゲ走るのを頑張っていて、何かに頑張るというのは辛くもあるけど頑張ったほうが楽しいからやっているんじゃないかなぁ??

でも、自分のためだけに頑張るのは限界があるとも言っていた。やはり、他の誰かのためにやっていた方がモチベーションになるんでしょうねえ。人間一人では生きれないようにできてるということの表れなんだと思う。

他人を拠り所にしちゃいけないなんて、特に創作界隈にはそんな雰囲気が流れてるけど、他人を拠り所にするのは人間の本能的な部分であって悪いことではないとわたしは言いたいですけどね。それのせいで、わたしみたいに自滅の刃ならよくないことと言われても確かにとなるけども…

なにか頑張ろうと思ってもやる気が出ないときは、やることの予定より遊ぶ予定先に立ててもいいらしいですよ。そのために頑張ろうと思えるからみたいだけど、結局遊ぶだけで終わる気がしなくもない笑

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ファンがほしい理由

そういえばここはTwitterから来て見てる人多いと思いますが、Twitterに告知してる記事以外を見るのは自己責任ですからね!なんといってもわたしのことを嫌いになる要素が存分に含まれてると思う。

創作界隈だけで繋がると自分も創作をやってるという人が見てくれることになるんだけどさ、自分が創作をやってる人は基本的に自分の創作を見てほしい人が大半だと思っててですね、わたしの作品好きと言われてもあんまり素直に受け取れないんだよね。

だから創作をやってないファンがいてほしいとたまに言うんだけど、なんかしっくりくる言い回しに気付いた。創作を自分もやってるって人はわたしからするとファンとは思えない、どちらかというと戦友みたいな。ものは違えど同じく創作をする同志だから戦友的な印象が強いので純粋に自分の支援者だと思えないんですよね。

もちろん好きだと言ってくれる言葉は受け入れているけど、あなたも創作物を作っていて自分だって応援してくれる人がほしいはずなのにわたしの作品見てもらってすみません…って感じになる。

だから逆に気にかけちゃうという部分があって、思いっきり宣伝したりできなくなっちゃったんですよね。わざわざ見てもらってごめんって思いながらやるのが正直つらいところある。。わたしが、創作者じゃない視聴者がほしいとおもう理由はこんな理由です。

そんなの気にしないで!ほんとに自分は見たくて見てるだけだよ!って言ってくれる人も中にはいるかもしれません。それはほんとに嬉しいです。

関係ないけどboothのboost機能ってなんか嫌なんだよね…こんなん思うのわたしだけだろうけどboostしないと失礼かな?とか、したとしても100円とかだとむしろ失礼かな?とかすごい気を遣う、、本名は知られてないから誰がしたかとかは分からないだろうけどね。ちょっと高くてもいいから最初から適正価格にしてほしいわ、、まあboostって投げ銭みたいなものでスパチャするみたいな感覚なんだろうけど。もーこんなんだから色んなこと考えすぎてしまって疲弊する('、3_ヽ)_

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文章で心を動かす

超びっくりしたんですけど、わたしが稀に文章を書きまくりたくなるときに使ってるサイトに怪文書上げてたらそれに感化されてる方がいた笑

内容については伏せるけどわたしが書いたことを実践してみようという感じでしたね。文が上手いということはちょいちょい言われるのと、社内でも褒めて貰ったことがあったので、もしかして、わたし、文が上手い…?とは薄々思い始めているのですが、いよいよ本当にわたしの文には人を動かす何かがあるのかと感じてきました。

ただ、これに関しては本当に上手くやろうと思って書いてないし、ライターになろうとかも全くないんですよね。これは前にも話したと思うけど、とある日記がきっかけで中学生の時からずっとブログを書くのが好きでした。それでただ、実際に起こった事とか自分の思想を文字にしているだけであってどうしたら読みやすくなるのかとか、コツはなんだと言われても全く分からないね。

文章なのに、語り掛けられてるようだとか、長文だけどすらすらと読めるという風に言ってもらえることが多くて、そういった言葉は結構嬉しいなと思っている。

これをそのまま声に出して話せればいいんだけど、話すとなるとこんな上手く話せないな。文だからこそ脳内でまとめてから話ができるという感じ。

前々からエッセイを書きたいと思っているんですよ。というか、このブログに投稿しているのはほとんどエッセイのつもりですけどね。そもそもエッセイってなんだよって感じなので載せておきます。
随筆とは、文学における一形式で、筆者の体験や読書などから得た知識をもとに、それに対する感想・思索・思想をまとめた散文である。随想、エッセイ、エッセーなどともいう。

ということです。上記の説明からしてこのブログに投稿してるのはエッセイで合ってると思う。わたしの思想の塊だし。

そんなに面白いならこの能力をどうにか生かせないかとも思うけどね。ただ、形式を作ってやるよりはこんな感じで好きに書いてるのがいいと思う。

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