雑記|そういう時もある 忍者ブログ

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年越し

なんも言いたくねぇや…
2020年はパンデミック抜きにしても本当に最悪な年だった。振り返りとか言う気にもならないよ…

初めてこんなに、創作をやってて悔しいと思った。来年は私を苦しめた人みんな不幸になってほしいという気持ちしかない…

でももう、こんな思いを来年はしたくないな。だからこう思う気持ちまで持ち越して年越ししたくない…早く不幸になってくれたらいいんだけど。

やっぱり、こう思う私は最低最悪のゴミだ。私はゴミだって言っても全然分かってくれないけど、自分を不幸にした他人が不幸になることを望んでいるなんて最悪じゃない?

自分が幸福になりたいと思うのは普通だけど、他人が不幸になって欲しいと思うのは異常だよ。だから私は最低最悪の人間で、こんなに地獄に落ちた2020年だった。

私は美しいことだけをいうつもりなんかない。最低だけど本当に思っていることも言うし、本当に思っている美しいことも言う。

綺麗な面だけを見せた方がいいのかって思ったこともあったけど、私にはできないし、そもそも、そう見せてる人が嫌いだ。だからきっと、これはこういう活動スタイルみたいなもので、今後もこうしていくんだと思う。

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全宇宙見てる~?

YouTubeにコメントほしいとここでほざいたらYouTubeにコメント増えたんだけど全人類ここを見てるんでしょうか??????

クリスマスにアップしたらめっちゃ再生回数少なかったけどニコニコと合わせたらそれなりだったから、やっぱつべとニコ両方上げると分散されるようですね!

心理学でよく言われる、人は何かしてもらうと返したくなる心理がある。というもの。これ、私的に納得いかなくて、正確には「困ってることを」助けられたら返したくなる、なんじゃないかって思ってる。

例えば疲れてもないのに電車で席を譲られたとして、その恩を返そうと思うか?って感じなんだよね……。求めてるわけでもないことを助けられたからといって、その恩を返してくれ!と言われてもそんな助けはありがた迷惑だよと思う。

でも、すごく疲れてて倒れそうなときに席を譲られたら絶対この恩は返したいって思うな。だから、やみくもに人に何かしてあげるってあんまりいいことでもない気がする。もっと的確に、人が困ってることを助けてあげられたら双方win-winかなって。助けてあげた方も、困ってる人を助けてあげられたって思うし、助けられた方は普通に助かるわけだし。

人に何かされても返したいとあんまり思わないし、人の事助けて相手が喜んでも自分はそんなに嬉しいと思わないから、私は人の気持ちが分からないサイコパスなのか?と思って色々調べてたんだけど。人にしてあげた恩はその人から返ってくるわけではなく、他のところから返ってくる。という投稿を見てこれが一番納得したかも。

何かしてあげてもその人から返されないと、なんで!って思ってしまって疲弊してたんだけど、ここでしてあげたものはきっと巡り巡って他のところから返ってくるって思ったら、他人に優しくしてもいいかなと思えました。

これからは、自分への好意だけを見て行こうと思う。自分への悪意と無関心を徹底的に排除して、自分にいい意味で関心を持ってくれる人とだけ付き合うようにする。そして、そういう人からの言葉を信じるようにする。

関心を持たれてないっていつも思うけど、自分が分からないところで、きっと見てくれてる人は見てくれてるって、そう信じる。それがいつか目に見える形で現れてくれるって信じて続けていきます。

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ブレとる

未だに何を大切にするべきかというのが、ブレっブレなんだよな。

どうやって最後を迎えようかということを考えてたらまた号泣してた。どう思われるのかとか、今までの自分ってなんだったんだろうとか思うとつらくて。

人の行動や意見は変えられないから、自分が逃げるしかない。その逃げる選択を取れずに過ごしてきた。思いきってそうするべきなのかも…

なにもしなければ現状維持できるけど変わることもない、から、そろそろ真智、動きます。

久々に自分好みの絵を見たら絵を描きたいと思えたんだよね。だから最近は本当に久々に描きたいように描いてる。

私は交流での底上げに頼らず、単純な面白さで作品のファンを獲得することを目標に方向転換したんだけど、最近の、ってか2021年予想されるYouTubeの方針予想を聞いたら、無理なんじゃないかって思ってきてしまった…

だからまた交流での底上げ方式に戻ることを検討してるって話なんだけど…

交流に頼ることをやめた結果考えるようになったのは、YouTube上での伸び方とか。どうやったら視聴者が飽きないだろうとか、より長く見てもらうにはどうすべきだろうとか考えてきた。

けど、元も子もないこというと交流の底上げ方式に戻ったら、どんなにクソつまらなくても一定の反応が貰えるようになってしまって、どんなにゴミカスみたいなシナリオでも、面白い!かわいい!って言われるんだと思う。

それで面白くなるように試行錯誤しようって気持ちがなくなっていっちゃうんじゃないかという懸念がある。どっちかというと、どうやって(自分自身が)人に気に入られようということに頑張るようになって、作品や画力はドブレベルのままで頑張ろうとしなくなるんじゃないかと思ってしまった…

どっちもいい具合にできるのが一番なんだけど、どっちにも時間がかかるし、結局作品作りの時間が一番大切って思うと、無職じゃないとできないわこれって感じやな。

2021年のYouTubeの動向的にも毎日投稿必須なようだし、そもそもで毎日投稿できない人間としてはやはり作品作りにかける時間の方が取りたいよねって…

「趣味でやってるなら好きにしたらいいんじゃないですか」って、自由なようで一番つらい言葉だと思う。

確かに趣味の延長ではあるんだけど単なる趣味でもないっていうか、、プレミアム趣味なんだよね…。

だから、YouTubeで稼ぐことを目的としてる、副業にしたい、というレベルには到達してないといえども、収益化目指す人たちと同じくらいのマインドをもっていたい。

単なる趣味だと、自由なんだけど自由すぎて頑張りどころも見えなくなってくる。収益化目指すなら毎日投稿が必要だよ、って言われたら、そうだな、その通りできはしなくとも、マインドだけはそれくらいの気持ちでやろうって、一つの目標になるからモチベーションとしていいかなと思ってる。

作品の感想として「普通に面白い」っていう言い方、ちょっとよくない言い回しだという風潮ある気がするけど、私は「普通に面白い」もの作りたいし、そう言われたい。

そもそも、漫画とか描く人のなかで、まず「理解できる」ものを描くハードルって案外高いと思う。「面白い」以前に意味が伝わらないってパターン割とある。だから、普通に面白いっていうのは、普通に理解できるのレベルをゆうに越えて面白いと思うレベルまで到達してるからすごい褒め言葉だと思う。だから私は普通に面白いって言われていいし、むしろ目標にしたい。

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いつもゴミです

Twitterに戻るか悩むなー…SNS依存をやめるために距離を置いたところ割かし必要なくなってきたところある。なんか思考回路が変わったって感じ。今までは何か起きたことや主張したいことが頭によぎったら「Twitterにつぶやこう!」って思考回路になってたんだけど、今は何か思ったら思うだけ。それが人間的に普通なんだけど…

と、いうこれも思ったことを主張したいからブログに書いてんだけど…不思議だね!?結局何かを主張し続けないと気が済まないのか…

やっぱりなんか話し相手欲しいなと思ってしまうんだよね。人の作品を見ていいなと思って対等な関係で話しできる感覚なんとなく思い出して、懐かしいなと思ってしまった。そういう創作友達、またできるんだろうか。ゼロからになってしまうから、パワーがいるよなと思うと再スタートするにも大変だって気後れしてしまう。

私は友達少ないタイプだから、ずっと昔からの、小学生とかからの友達と今でも連絡とったりしてて、すごく仲良かった人と関係が途切れるっていうのは自分から何か失われるくらいダメージが大きいことだと思ってたんだけど、もしかしては普通は人間関係って更新されてくのか。って思った。昔仲良かったけど、今生きてるのかも分からないな、っていう風になっても別にいいんだ、その分新しい人間関係を作れば。

懐かしいものとか、前からあるものに固執してしまうから、そういうの難しいなって思ってた。

私はネットにあげるために絵を描いていて、それってほんとに絵を描くのが好きだからじゃなくて反応貰うためみたいで醜いなと思ってたし、SNSを見て他の人が絵を投稿してるから私も描かなきゃ!!!って無意味に焦る感覚が嫌だった。今Twitterを見ないようにしてそういう感情はなくなったのはいいものの……

無意味に焦らないと全然描かない(真理)

作品数を増やすために、実は焦ったほうがいいのかもしれない(笑)あの人あんな頻繁に絵をあげてるから描かなきゃみたいな使命感ないと、マジで絵描かないわ。そういう無意味な焦りほんとやだと思ってたけど、無いとそもそも描きもしない…

自分がSNSとの距離関係を上手く保てるタイプならモチベーションアップのためにそういう使い方したらよかったんだろうけど、多少話聞いてくれるような相手がいると病みツイートで注目を引こうとしてしまいがちだから本当にダメだわ…上手く保てないから完全に遮断しないといけない。0か100かみたいな。

本当はネットの関係なんてうわべでの関係くらいでいいんだろうな。過去を反省するところが多すぎる…頭をハンマーで殴って過去の記憶全部失ってから新しい道歩みたい…

もし忘れられるなら、創作は交流しないと見てもらえないという概念を知らなかったことにしたい。私が未だにとらわれてる悩みで大きいのはここで、この考えさえなければ今こんなに自尊心を失いながら創作やってないし、無意味だと思いながらやることもないだろう。本当に記憶から消してほしいですね。

とりあえず今日も私の作品はゴミカス

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チャンネル登録する視聴者側の意見

よくチャンネル登録されるまでのステップを解説してるものがあるけど、YouTubeヘビーユーザーの私的にどういうときチャンネル登録するか考えてみた。

YouTubeで伸びるために鉄板の方法として毎日投稿があるんだけど、そうじゃなかったら毎週何曜日の何時に投稿するとかサイクルを決めろっていうのがあるのね。私が投稿してる人の中に毎日投稿する人もいるけど、確実に決まって毎日投稿する人以外のサイクルってあんまり気にしてないな。私はチャンネル登録してる人の最新順の項目で見るから、今日が何曜日だとかあんま考えず新着来てたら見るみたいな感じ。相当ファンで絶対に早く見たい!っていうの以外毎週何曜日とか決まっててもあんま覚えてないかも。

そして投稿が頻繁にあるから登録するというわけでもない。気に入った動画があって、チャンネルを見た時に最終更新が3か月前…とかだと登録する気が減るのも確かだけど、頻度が多くなくても登録するパターンがある。

それは、コレクションみたいなものだと思う。チャンネル登録というのは自分のコレクションみたいな感覚。だから投稿頻度が少なくてもチャンネルに今ある動画たちが好きなら、それを見失いたくない、手元に置いておきたいという感覚で登録する。いうなれば漫画の単行本みたいな。滅多に読むことはなくとも、気に入ってるやつは売らないで持っておきたいという感じ。

頻繁に投稿する人でも絶対毎回自分好みの動画投稿する人じゃなかったらむしろ新着が邪魔かも…そう思うと投稿するジャンルを揃えるって大事だわな。

YouTubeヘビーユーザーとしての視聴者側からの意見でした。

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